ラロ貝塚群の発掘調査とその年代
小川英文・東京外国語大学・フィリピン語
ラロ貝塚群調査の目的
フィリピンにおいて考古学調査を統括する国立博物館考古学部門は70年代後半から、ルソン島北東部カガヤン河東岸のペニャブランカ地区一帯に広がる石灰岩台地における洞穴・岩陰・開地遺跡の総合的調査プロジェクトを開始し、現在までの調査によって剥片石器文化と土器の出現との関係や様々なバリエーションを持つ墓制等、当該地域の先史文化の様相が鮮明になってきた(Ronquillo and Santiago 1977, Ronquillo 1980)。こうしたフィリピン国立博物館による調査の方向性に呼応して、外人研究者による調査も当該地域で活発に行なわれてきた(Thiel 1980, 1989, 1990, Snow and Shutler 1985, 青柳1977,1979, Aoyagi 1983)。カガヤン河下流域に50kmにわたって分布するラロ貝塚群の調査は、80年代後半からフィリピン国立博物館と日本人研究者との共同調査というかたちで開始された。80年代の終わりまでに河岸段丘上の貝塚遺跡の分布調査や試掘調査が実施されたが(青柳・田中1985, 青柳・Aguilera・小川・田中 1986, 1988, 1989, 1991, Cabanilla 1972, Ogawa and Aguilera 1992, Orogo1980)、90年代からは調査地域を河岸から丘陵地域に広げながら、洞穴遺跡の調査も貝塚と併行して実施している( Bautista 1996-1997, de la Torre 1995-2000, Garong 1996a, b, Ogawa 1996-2000, Orogo 1995, Tanaka 1996-2000, 樋泉1999)。
ラロ貝塚群調査の目的は、
1) 貝塚の層位学的発掘によって得られた資料をもとに、年代測定値を援用しながらカガヤン河下流域の型式学的編年体系を確立し、周辺地域における諸文化との比較研究の基礎とする、
2) 貝塚や洞穴遺跡から得られた人工・自然遺物資料をもとに、低地や山地などの異なる微小環境における資源開発の生業パターンについての情報を蓄積する、
3) 最終的に農耕開始以降の当該地域における農耕社会、貝採集社会、狩猟採集社会とい
う生業活動を異にする諸社会間の相互依存関係の歴史的プロセスを解明することである。
農耕開始以降、この地域における先史文化の様相は非常に複雑である。すなわち農耕社会と貝採集社会が低地で生業を営む一方、山地では人類史的に農耕以前の生業形態である狩猟・採集を営む人々が同時代的に生活している。現在両者は交流をとうして経済的・社会的な「相互依存関係」を確立している。カガヤン州内の狩猟採集民イタやアグタの事例にみられるように、異なる生業活動を背景とする社会間で現在実践されている相互依存関係は、過去においても存在していたと予想することができる(Peterson and Peterson 1977, Griffin and Griffin 1985, Rambo et. al. 1988, Headland and Reid 1989)。
過去から現在に至るまでの、技術的・経済的な背景を異にする諸社会間の交流や相互依存関係のあり方を考古学的に解明していくには、考古学調査で得られた遺物や遺跡の時空間的分布を時代ごとに正しく再配置する必要がある。当該地域の過去の生活の痕跡や環境の様相を時代ごとに整理し、生活の営みや自然環境の変化のパターンをとらえることによって、異なった生業基盤や社会規範をもつ諸社会間の相互関係に迫ることが可能となる。しかしそのためには考古学の方法だけでは十分とはいえない。自然科学のさまざまな分野の方法をはじめとして、文化人類学、文献史学など他分野にわたる方法を必要としている。ラロ貝塚群調査では日比両国の考古学をはじめとする、多分野にわたる専門家が協力して調査を継続している。
発掘調査によって得られた遺物や遺跡の情報に時空間の広がりや尺度を与える編年作業は、本研究の第一歩に位置づけることができる。しかしながらラロ貝塚群のあるカガヤン河下流域では、日本のように考古学の編年作業が整備されているわけではない。むしろ日本の考古学創世期さながらに、ひとつひとつの遺物、遺跡の先後関係を相対的に関係づけていかなくてはならない。しかし創生期と大きく異なるのは、われわれには絶対年代の測定が可能なことである。測定によって得られた絶対年代と遺物による相対年代を組み合わせながら、カガヤン河下流域の地域的編年を構築中である。
遺跡分布と性格
カガヤン河は、ルソン島北東部を南北約300kmにわたって流れ、バブヤン海峡に注ぐ、フィリピン有数の河川である。この河によって形成されたカガヤン渓谷は、東をシエラ・マドレ、西をコルディリエラ、南をカラバリオの各山脈に囲まれている。ラロ貝塚群は、このカガヤン河の下流域40kmに点在する。ラロの町は16世紀終わりにスペイン人が北部ルソン島経営の拠点を築いてヌエバ・セゴビアと呼ばれ、19世紀までは広く当該地域の政治的、経済的、宗教的な中心として栄えていた。
ラロ貝塚群は河口からデルタの形成がはじまる10km遡った地点から、上流50km地点までの間のカガヤン河両岸に分布している(Fig.1)。現在までに確認されている貝塚は20ヵ所以上で、その規模は、長さ500m、幅100m、深さ2m以上の大規模なものから、直径10m前後の小規模のものまでさまざまである。貝塚の立地条件にしたがってその分布パターンを以下の4つに分類することが可能である。
1)河岸の自然堤防上:カガヤン河に面した標高約6〜7m、河面比高満潮時で約3m(干満の差1.5m)の自然堤防上に位置する貝塚群である。その規模はいずれも大きく、最大のもので長さ500m、幅100m、深度2mにも及ぶ。このような大規模貝塚は5ヵ所確認されている。さらにその内3ヵ所の遺跡では現在でも貝の採集が行なわれており、貝塚の形成が続けられる。遺跡を形成している貝種と現在採集されている貝種とはほぼ同じである。遺物は厚手の沈線文あるいは無文の黒色土器群を中心として、中国陶磁片、磨製方角石斧片が検出されている。貝以外の自然遺物には陸棲動物・魚骨が多種にわたって検出されている。貝層の年代に関してはTable 1に提示したように、カタヤワン(Catayauan)貝塚のコンシソ(Conciso)、シソン(Sison)両遺跡の-30〜-145cm深度で957〜1189年の較正年代が得られている。
また貝層下のシルト層を掘り込んだ、黒色土器を副葬品とする伸展葬墓が3遺跡で検出されている。副葬品は台付の碗や小型の甕などの黒色土器を中心とし、腕輪用のガラスビーズも出土している。これらの埋葬址はいずれも黒色土器を副葬し、貝層直下に形成されていることから、貝塚が形成されていた時期と同じ文化層に属するものと考えられる。しかし墓壙内からは貝が検出されないことから、貝の廃棄場所と墓域を意識的に区別していた可能性が想定できる。埋葬址の年代は2遺跡で得られており(サンタマリア(Santa Maria)貝塚イリガエン(Irigayen)遺跡、カタヤワン貝塚コンシソ遺跡、Table 1)、較正年代で1294〜1560年を示し、いずれも貝層形成期より古い年代となっている。
さらに貝層下のシルト層からは無文の赤色スリップ土器群が検出されている。遺物は他にも土製耳飾、磨製方角石斧片、チャート製剥片石器などが得られている。剥片石器の出土は洞穴遺跡で多く確認されているが、河岸段丘上では現在までにイリガエン遺跡でのみ数点が確認されている。しかしながら黄褐色のシルト層中では土色に基づく遺構の確認は困難で、赤色土器の他に少量の動物骨、炭化物がシルト層中から検出されるのみである。シルト層中無文赤色スリップ土器群の年代は、イリガエン遺跡の-80〜-135cmで2972〜3461年の較正年代が得られている(Table1)。
2)内陸低地:河岸から約1km、標高3〜4mの低湿地に位置する貝塚群が、カガヤン河東岸で現在までに3ヵ所確認されている。現在これらの貝塚はいずれも周囲を水田に囲まれているが、石灰岩台地にも近い。遺跡範囲は径約50m、貝層断面の観察から深度は2m以上である。淡水産二枚貝のほかに動物骨などの自然遺物が検出されているが、人工遺物は1ヵ所の貝塚から剥片石器1点が確認されているのみである。いまだ発掘調査が行なわれていないので年代については推測の域を出ないが、当該地域の土器出現以前に貝塚が形成され、その後カガヤン河の沖積作用で埋没した可能性が考えられる。
3)石灰岩台地上:カガヤン河に面した標高約50mの石灰岩台地上に位置する。発掘調査が行なわれたマガピット(Magapit)貝塚は台地上丘陵鞍部に位置し、その規模は径10m、深度5.5mである。遺物は沈線、刺突文をもつ赤色土器を中心として、磨製方角石斧、土製・骨製装飾品、動物・魚骨等が出土している。マガピット貝塚の年代は−1m及び−2m出土の炭化物2点を資料とするC14年代が得られており、いずれもBP2800年となっている(マガピット貝塚:2800±140BP:N-5396、 2760±125BP:N-5397)。
4)石灰岩丘陵上:カガヤン河東岸から直線で約10kmの石灰岩丘陵上には洞穴が分布している。これまでに発掘調査されたマバゴッグ(Mabangog)洞穴内の遺物包含層には、河岸貝塚と同種の貝が遺物とともに出土することが確認されている。洞穴内の土壌は表面から岩盤まで30〜40cmほどしか形成されていないが、暗褐色土に貝、無文赤色土器、磨製方角石斧片、チャート製剥片石器などが包含されている(小川1999c)。
ラロ貝塚を主体的に形成する貝種は、カビビと呼ばれる淡水産二枚貝である。このほかに淡水産二枚貝2種、淡水産巻貝1種、陸産巻貝3種が見られる。これらの貝のうち淡水産二枚貝3種と淡水産巻貝1種はいずれも現在採集され、食用とされている(小川1997)。
遺跡の編年
ラロ貝塚群中、現在までに発掘されたのは11貝塚15遺跡(河岸自然堤防上9、石灰岩台地上1、洞穴1)である。これまでの発掘調査によって得られた遺物とその出土層位の関係をもとに相対編年を構築することが可能となってきた。すなわち、河岸段丘上の貝塚からは黒色土器が出土し、貝塚の下のシルト層からは赤色土器が出土する。貝層中から出土する黒色土器には有文(線刻文)と無文のものがある。有文の黒色土器はバガッグ(Bangag)貝塚で顕著に出土するが、その他の河岸段丘上貝塚ではほとんどが無文の黒色土器である。ただしカトゥガン(Catugan)貝塚からは有文から無文への黒色土器の変化が層位的に確認されている(田中1997a)。
赤色土器に関しては、有文(列点文)のものが河岸石灰岩段丘上のマガピット貝塚から顕著に出土するが、河岸段丘上のシルト層中からはほとんどが無文で、列点文をもつものがこれまでにわずかに数点しか確認されていない。このように赤色土器の変化については、同一遺跡で層位的に確認することができていないのが現状である。最近の分析では有文、無文ともに赤色土器は器形、形成技術、胎土、焼成などに類似点が多いが、有文の赤色土器のほうが無文のものよりも器種構成のバリエーションに富んでいるという結果を得ている。無文の赤色土器は河岸以外にマバゴッグ洞穴からも出土している。しかしここでは赤色土器が貝や剥片石器とともに出土し、河岸の遺跡からの出土状況と異なっている。すなわち河岸では無文赤色土器はシルト層中から、有文赤色土器は貝層中から出土するが、洞穴では無文赤色土器が貝層中から出土する(小川1998, 2000d)。このようにマバゴッグ洞穴の無文赤色土器の出土状況は河岸遺跡での赤色土器のそれと齟齬をきたしているが、発掘調査による資料の増加をまってこの問題を解決したい。
これまでの限られた発掘調査による遺物と層位との関係から相対的な編年を暫定的に構築するとすれば以下のように考えることができる。黒色土器は貝塚の形成とともに、有文から無文への変遷をたどる。貝塚が形成される以前のシルト層から出土する赤色土器については層位的にその変化を確認していないが、暫定的に有文から無文への変遷を想定してきた(小川1998, 2000d)。
これらの相対編年と今回得られた年代測定の結果(Table 1)を比較してみると、新たな問題を見出すことができる。まずラロ貝塚群中最古と想定していたマガピット貝塚有文赤色土器のC14年代2800BPが、2972〜3461年の較正年代をもつサンタマリア貝塚イリガエン遺跡の無文赤色土器群と逆転する点である。この点についてはこれまでのマガピット貝塚のC14年代測定値の精度が荒いため、今一度、同様の精度で資料を測定し、再度比較検討する必要が生まれてきた。黒色土器については有文から無文への変遷が層位的に確認されているが、C14年代の測定値は得られていない。またこれら河岸の遺跡とマバゴッグ洞穴の赤色土器との関係も年代測定によって確認する必要がある。以上のような問題点は、今後の発掘調査の結果をまたなくてはならないが、それは考古遺物の調査のみではなく、カガヤン河下流域の古地形の変遷、農耕・貝採集・漁労・狩猟・採集などの生業と環境改変との関係などの情報を獲得できるような調査デザインに基づき、本研究を継続することによって可能となる。年代測定はその基礎的な裏付けであることは言うまでもない。
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Archaeological Research on the Lal-lo Shell Middens and
Chronological Context of the Sites.
Hidefumi Ogawa
Dept. of Philippine Studies, Tokyo University of Foreign Studies
Lal-lo shell midden sites are located on the riverbank of lower Cagayan River, extending from the mouth of the river on the northern coast of Luzon Island for a distance of 40 kilometers upriver. These shell middens are categorized into four groups by its geological location; 1) riverbank shell middens, five to eight meters above M.S.L. (Dummon, Gattaran Centro Sur, Aggunetan, Aguiguican, Bangag, San Lorenzo, Alaguia, Catugan, Santa Maria, Catayauan, Tucalana, Lal-lo Centro, Dugo, Camalaniugan Cenro), 2) inland shell middens, one to two kilometers east from river bank, seven to eight meters above M.S.L. (Bagumbayan, Dalaya, Catayauan II), 3) on the limestone hill beside the river, 50 meters above M.S.L. (Magapit, Bangag II), 4) limestone hill cave, four kilometers away from river bank, 40 meters above M.S.L. (Mabangog). These shell middens are formed predominantly by one freshwater bivalve shell, locally called Kabibi (possibly, Batisa childreni). Other shell species from middens are two freshwater bivalves, three freshwater conical shells and land snails.
Cultural materials revealed from those sites can be classified also by these geological settings. The riverbank shell middens produce the black pottery with and without decoration. The riverbank sites also produce the cultural materials under the shell deposit, the silty clay layer. From the silty clay layer, the red pottery without decoration can be revealed. The inland shell middens don’t produce pottery, and so far, we collected limited numbers of stone flakes and its core. The limestone hill shell midden, Magapit site produces the red pottery with decoration. The cave site, Mabangog Cave is also formed with shell deposit, and produces the chert and andesite flakes and red pottery without decoration.
By these excavations of the sites, it becomes clear that the potteries can be divided at least into four types. The chronological sequence of different pottery types in this research area could be as following;
1. Red-slipped pottery with decorations (Red I): Magapit sites, from shell middens of riverbank sites →
2. Red-slipped pottery without decorations (Red II): from silty clay layer under the shell midden of riverbank
sites →
3. Black pottery with decoration (Black I): Bangag and Catugan site, from shell middens of riverbank sites →
4. Black pottery without decorations (Black II): from shell middens of riverbank sites
The results of C14 datings recently acquired (Table 1) present some crucial issues on the chronological sequence of Lal-lo Shell Middens. It was supposed that the cultural sequence of Lal-lo shell middens began from Red I of Magapit site and it has changed to Red II in the silty clay layer of riverbank sites. The C14 date of Magapit site acquired in late 80’s indicates 2800BP (2800±140BP:N-5396). The recent results of C14 dates indicate the inversion of this sequence. The calibrated C14 dates from the Red II cultural layer indicate the dates from 2972 to 3461BP. The redate of Magapit site with the same accuracy of C14 dating will resolve the reverse problem of the sequence.